松村龍二氏にインタビュー
「米」は命、「ふくい一筋」が私のモットー
産業政治日報インタビュー記事
聞き手 産業政治日報 代表取締役主幹 田中 孝治氏

松村龍二議員は、福井県選挙区の議員であるが、若いころ2度にわたり大阪で勤務したことがあり、また大阪阿倍野の女性と結婚しているので大阪とも縁のある人である。
また当紙主幹の田中孝治と長い付き合いがあり、このたび自民党の中堅の将来のホープである松村氏に田中がインタビューした。


大切な福井の稲作
若狭路に高速道路の実現


田中 松村議員は有名な国松警察庁長官と同期で警察庁に採用され、北は北海道から南は九州まで全国に勤務し、その間タイ大使館に3年間出向したり、総理府広報室で日本全官庁の政府広報作成にあたってきたそうですね。また昭和50年代後半防衛庁にも勤務して大韓航空機墜落事件の情報管理といった国家的な仕事もしています。30年にわたり、国家的仕事にたずさわってきたのに、松村さんのモットーが「ふくい一筋」というのは何故でしょう。

松村 初めて立候補したとき当然公約をうちたてる必要があります。私は、横田基地を米軍から日本に返還してもらって、福井はじめ全国小都市と東京を結ぶ路線の飛行場にする公約ではどうだろうかと考えました。すると親戚で県会議員の参謀役から、横田といっても知っている人は少ない、そういう公約ではダメだと言われました。そこで私は、福井の稲作を大切にする、若狭路に高速道路を実現する等の公約をうちたて緒戦を戦い勝利を収めました。全国の国会議員がそれぞれの地元の発展を願って血みどろの努力をしているのだから、私も地元一筋でがんばらなければと思い、「ふくい一筋」を私のモットーにしているのです。



外務省に陳情、漁場守る
関西潤す福井の原子力発電


田中 国会議員になってはや12年になろうとしていますが、どんな具体的成果を収めてきたのですか。

松村 誰に説明してもはっきりしている成果として漁業に関するものがあります。福井といえば越前カニが有名ですが、今は資源も豊富で、日本の漁師がこれを独り占めしていますが、平成9年頃は韓国漁船が我が物顔で漁にあたり、日本漁師は隅に追いやられる日々があったのです。というのは、12海里が領海ですから、外国の船も近くまで来られたのです。韓国漁船は重りを下につけた底刺し網という網を落とし、一昼夜してそれを上げて収穫する。これに対し福井の漁師は底引き網漁法で一種のトロールですから、韓国漁船の網が邪魔になって漁が出来ないという状態になってきたのです。越前町の漁師の奥さんたちが憤慨して大挙東京日比谷公園に結集し抗議集会を開きました。私はこの奥さんの先頭に立って水産庁と外務省に陳情いたしました。これがきっかけとなり、政府は日韓漁業協定を破棄して、1年後に新漁業協定を締結いたしました。世界は沿岸200海里は沿岸国が漁業管理する時代に変わっていましたので、新協定により韓国漁船は、福井近辺の漁場に姿を見せることが出来なくなり、資源も回復してきたのです。
 次に関西に大いに関係のある話として原子力発電に関する成果です。福井県は13の原子力発電所で関西で消費する電力の5割以上を発電しています。自民党の電源立地等推進調査会の安全主査をしているとき東海村のウラン臨界事故をきっかけに原子力防災法はじめ安全2法の立法を実現いたしました。また立地、準立地町をひっくるめた原子力立地地帯に振興策を盛り込んだ法律をつくることに成功いたしました。これは新潟の桜井政調会長代理の力が大きく与りました。


米の消費拡大へ更にアピール
食料安全へ輸入米より国産米


田中 そのほか自民党の幹部から聞きましたが、松村さんは、農林部会の常連議員として稲作の振興の問題になると人一倍熱心に発言しているそうですね。

松村 私の母親が福井市の田園地帯で代々村長をした家に育ったせいか、子守歌がわりといったらオーバーかも知れませんが、農民のコメ作りの苦労話をよく私に聞かしたものです。そのせいか、私は政府広報時代もコメの消費拡大広告に同僚をあきれさせるほど熱中しました。そして、日本人の食料安全保障、景観の保全、水管理、農村の維持といった観点から農政に深い関心を持っています。
 ある野党代表がいま3つのスローガンで日本の農業をしたり顔で語っていますが、これなど噴飯物です。そのうちの一つ「農産品完全自由化」は、日本の1万6千円のコメと3千500円の中国産のコメを対等に競走させようということです。その結果は日本のコメの大暴落です。それでよいのだ、差額は政府が面倒を見ると言っているようですがこれは不可能でしょう。


「日本の平和を守る」は使命
近隣国の中韓とも仲良く!


田中 語り出すとキリがなさそうですから、成果の話はさておき、今後の政治で一番力を入れている点は何ですか。

松村 景気回復とか北陸新幹線を関西まで完成するという夢もありますが、終戦時に小学生だった政治家として、やはり日本の平和を守るということです。いま世の中に勇ましい風潮がありますが、日本は海に囲まれ人口は多く、資源は無く、海外との輸送路が封鎖されれば、いっぺんに息が止まってしまう国でなのです。これは先の大戦で嫌というほど悟らされました。やはり日本は上手に米国とつきあい、近隣国である中韓両国とも仲良くするといった地道な努力をしていきたい。そして息長い日本の発展を構築することが私の務めだと思っています。